Vol.23 トイレの話1~西洋編

私たちの暮らしになくてはならないトイレ。「ここが家の中で一番落ち着く」とおっしゃるお父さんも多いのでは?今回と次回は2回に分けて、その歴史と健康面、新たなトレンドなどをご紹介していきましょう。
世界最古の水洗トイレはメソポタミアに
世界最古の水洗トイレは、紀元前2200年ごろのメソポタミア、テル・アスマス遺跡で発見されたもので、クレタ島のクノッソス宮殿やインダス河畔のモヘンジョ・ダロ遺跡でも水洗トイレの遺構が発見されています。当時のトイレはしゃがみ込む和式スタイルのものでした。
水洗トイレが非常に普及した黄金期が古代ローマ時代で、トイレは庶民の憩いの場となっていたようです。遺跡の中に個室化されていない集団で利用できる水洗トイレがあるのです。しかし、ローマ帝国が滅亡すると水洗トイレは西洋から姿を消し、さらにはトイレ自体が珍しい存在になって行きました。トイレの暗黒時代の到来です。
昔のパリは異臭の都
18世紀頃までのヨーロッパの都市は、高い城壁で囲まれた城塞都市で、人々は3~5階建てのアパートに住んでいました。修道院や城館などを除いて、一般の家庭にはトイレはなく、おまるが使われていたのです。おまるがいっぱいになると人々はなんと窓からそのまま捨てていたため、道路は、ごみと汚物とそれらが放つ異臭で溢れていたそうです。ちなみに当時の市民の服は月1回も洗濯できれば良いほうで、風呂やシャワーを使う習慣もなかったそうですが、ヨーロッパで香水文化が花開いたのは、決して体臭だけのせいではなかったのです。
14世紀のロンドンでは汚物を窓から捨てるところを官吏に見つかると罰金刑という法律もできました。そのころから捨てる際のマナーも生まれ、捨てる人が事前に「今から投げるぞ!」と叫ぶと、通行人は「ちょっと待ってくれ!」と返して、急いで走り去ったそうです。当時は女性をエスコートする時、男性が建物側を歩くのが常識だったといいます。
同じく14世紀にヨーロッパを席巻し、人口の3分の1を死に追いやったといわれる黒死病。現在ではペストではなく、エボラ出血熱のようなウイルス性出血熱といわれていますが、この流行にも当時のヨーロッパ城塞都市の劣悪なトイレ事情が大いに関係していたことでしょう。こうした状況は19世紀になるまで続いていたというから驚きですね。
17世紀初めに発明されたハイヒールは、はじめから女性を美しく見せるファッションアイテムとして生まれたのではありません。道路上の汚物でドレスの裾を汚さないために考案されたのです。当時は爪先の方も高くなっていて、中には60Cmの高さのものもあったそうです。また、マントも上から降ってくる汚物を防ぐために生まれたものでした。もしタイムマシンがあったとして、当時のヨーロッパへの時間旅行は、現代人にとってかなり不快で危険な旅になるかもしれませんね。
ルーブルが臭いのでヴェルサイユに移動
中世ヨーロッパの城には確かにトイレがありました。それは塔の壁の張り出しに作られた床に穴があるだけの部屋で、その穴から直接下に排便する仕組みだったそうです。1つの城に長く住むと次第に不潔になってしまうこともあって、当時の王は城から城へ頻繁に移り住んでいたのだとか。17世紀フランスの太陽王ルイ14世も、ルーブル宮が汚物まみれになったために、ヴェルサイユ宮に引っ越したといわれています。
引越しに当ってルイ14世はヴェルサイユ宮を大リフォームしました。そのときに、王は自室に風呂と汲み取り式トイレを設けたそうです。ただし、他には独立したトイレはなく、広間などに274個の腰掛式便器が置かれていました。この腰掛式トイレは、14世紀のはじめ、フランスのフィリップ5世が使い始めたといわれています。王が庶民と同じ姿勢で排便するのを嫌ったため、王侯専用の腰掛式トイレが誕生したのだとか。
ヴェルサイユ宮では、常時4000人ほどが生活していたので、当然274個の腰掛式トイレでは足りません。廷臣たちは、庭の茂みや部屋の隅、廊下などでも用を足していたそうです。貴婦人たちはさすがに陶製の携帯用便器を使っていたそうで、傘のように開いた独特のスカートは、このために考案されたものといわれています。しかしその中身は宮殿内の腰掛式便器と同様に庭に捨てていたため、ヴェルサイユ宮はどこもかしこも、ひどい悪臭が漂っていたそうです。
近代的な水洗トイレはコレラとともに
水洗トイレが再び使われだしたのは1810年ごろのロンドンでした。そして1830年代にロンドンでコレラが大流行したのを機に、近代的な上下水道の整備が進みます。U字型排水溝や水洗タンクなどもこの頃に発明されました。1877年にロンドンの鉛管工が書いた『鉛管工事人と衛生的な家屋』という本がベストセラーになり、水洗トイレは爆発的に世界中で普及したのです。
(つづく)






